暗がり/薄明かり

それを暗がりと呼ぶか薄明かりと呼ぶかはきっとことばのえらびかたひとつで、でも私達が共有したのは薄明かりだったのだと思う。

先日の思ったことをとりとめもなく記す。

 


 

静寂に音楽の居場所を立ち上げること。

静寂のなかから立ち上がってゆく音楽、と、暗がりの中から立ち上がってくる光。

インドの古代音楽では、演奏を始める前に、一音一音、それぞれの音の神様の居場所を用意していって、そうして演奏を始めるのだという。一緒にいてくれたかたの話してくれたこと。一つの丁寧に確かめるようにつくってゆく音。

ライブの演奏者、harukaさんは教会の天井を見上げ、鈴を鳴らしながら、まるで、そう、彼女が言ったように「星を呼ぶ」ように静寂を・静寂のなかの音を始める。


 

いま、ここ、このわたしたちでなかったかもしれないこと。

ところで、愛しく思うひとと静寂や暗がり/薄明かりを共有できる、というのはとても幸福なことで。というのも、そこではことばなしに、わたしたちはわたしたちのともにあることを認め合うことができる。

怪我で来れなくなってしまった友人の代わりに、ずっと会いたかった人をお誘いした。だれが隣にいてもきっと幸福で、だれが隣にいてもきっと別のいまのことを考えてしまうのだろうということを思う。今はいつだってこの今しかないことが少し寂しく、しかしそれでもこの今があることを幸福に思う。


 

愛について。

性愛によらないで人を愛したいと思う、けれど、触れたいと思ってしまうこともある。信仰というものを私はもっていないけど(とはいえ、Simone Veilの思想を強く思うことがある。清潔な愛のこと)。

「生きていることは、それ自体、祝福であるのか」、という内藤礼のことばを思いながら、祈るとはどういうことだろうと考える。

そんなことを。牧師さんの話を聞いたあとで思っていた。

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