排除と包摂:人類学機械

人間/動物、人間/非人間といった対立項を介した人間の産出が、今日の文化において賭けられているかぎり、人類学機械は、必然的に排除[エクスクルジオーネ](つねにすでに拘留でもある)包摂[インクルジオーネ](つねにすでに排除でもある)によって機能している。事実、まさに人間がそのつどそのつどつねにあらかじめ前提とされているからこそ、人類学機械は、一種の例外状態、つまり外部が内部の排除でしかなく内部が外部の包摂でしかないような未確定の領域を現実に生み出すのである。

おそらくこれは、近代人の人類学機械だろう。人類学機械は――これまで見てきたように――すでに人間であるものを(いまだ)人間ならざるものとして自己から排除することによって作動している。つまり、人間を動物化し、人間のうちから非人間的なもの、すなわちホモ・アラルス、あるいは猿人を分離することによって作動しているのである。また、われわれのの研究領域を数十年先にすらしてみるだけでいい。そうすればわれわれは、こうした無害な古生物学の発掘資料の代わりに、ユダヤ人を、いいかえるならば、人間のうちに生み出された非人間を、あるいは新死体[ネオモール]や過剰昏睡状態(注27)を、すなわち、同一の人体のうちで分離された動物を手にすることだろう。

 

ジョルジョ・アガンベン(岡田温司訳)『開かれ』,平凡社ライブラリー,pp.69-70

p.169 注27:新死体とは(中略)法的には死体だが(中略)臓器移植に有効な生命の特徴をもった臓器提供者の身体(脳死状態の身体)のこと。また、過剰昏睡状態とは、(中略)伝統的な昏睡が、外界と関係する生命機能(意識、運動性、感覚性、反射)の喪失や、植物的な生命機能(呼吸、血液循環、体温維持)の保存によって特徴づけられるとするならば、この新しい過剰昏睡とは、「外界との関係に関わる生命機能が全面停止する上に、植物的な生命機能も障害をきたすどころか全面停止する」昏睡、つまり、新しい蘇生技術(人工呼吸、血液循環の維持、体温調節)における昏睡のことである。(以下略)

※原文のルビは[]にいれ、原文の()はそのまま用いた。

※訳者あとがき「アガンベンの身振りと修辞」では「排除とは、すでにしてつねに包摂を前提し、包摂とはすでにしてつねに排除を前提としている」(p.218)といいなおされる。

※「すでにつねにimmer schon」ということばはハイデガーがよくもちいる。表現を緩めるのなら、「気づいたときにはもういつもそうなっている」ようなことだろうか。

 

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