人工物の政治性

アメリカの技術哲学者ラングドン・ウィナーは、『鯨と原子炉――技術の限界を求めて』(紀伊国屋書店、二〇〇〇年)のなかで人工物がそれ自体として政治的な性質を持つことを指摘し、技術の有する政治性に警鐘を鳴らした。政治的な人工物には二つの種類がある。一つは、特定の政治的意図の実現を目的として設計・製造されたものである。例えば、ニューヨークのロングアイランドの公園道路にかかる陸橋は、貧しい人々や黒人の流入を防ぐために、その下を公共バスが通れないような高さで設計されている。もう一つは、特定の社会構造なしには成立しない技術である。例えば、ウィナーによると核兵器や原子力発電などの技術は権威主義的な社会構造を要求する。これらの技術の政治的作用は隠れた仕方ではたらく。一見したところ人工物は道具的な目的を達成するための中立的な手段のような外見を与えながら、人々に気づかれないような仕方で特定の社会的秩序や権力構造を実現しているのである。このような技術の隠れた政治性を暴露することは、技術哲学の重要な課題のひとつとなっている。

 

村田純一編『知の生態学的転回 第2巻 技術 身体を取り囲む人工環境』p290, 生態学的転回を知るための用語解説

※太字はsakaiによる。

※公園のベンチの真ん中にある手すりや、新宿の地下道の両脇にある上面が斜めになった物体とホームレスとの関係なども考えてみましょう。いわゆる「意地悪ベンチ」というものらしいです。

※意地悪ベンチについては関根康正氏の命名らしい。「ストリートの人類学」の提唱 ストリートという縁辺で人類学する(pdf)等を参照のこと。

※webサイトの配色と色弱、あるいは登録フォームの性別に何を表示するかといったことになると、まったく意図しないままに私たちの作るものにも政治性が組み込まれてしまうということに気づくことでしょう。

※包摂はつねに排除とそのものである(包摂と排除:人類学機械

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